『意思と表象としての世界』のポイント(解説書参考)

『すっきりわかる! 超解「哲学名著」事典』で、ショーペンハウアーの『意思と表象としての世界』の超解を読んで、まとめてみた。

本のまとめ
世界は私の表象である。
表象とは、目の前に現れている世界のことである。
そのため、客観的な世界を、主観として意識していることになる。(例:時間や空間、因果律

表象としての世界は、世界の一つの捉え方に過ぎない。
世界は、物自体という、人間には知りえない認識不可能な領域に当たるものがある。
しかし、物自体とは、知ることができないのではなく、意思である。
意思とは、理性的な意思ではなく、無意識的な意思である。
たとえば、動物の生殖活動といった本能的なもの、水の流れが低い方に向かうときの強烈な衝動などが意思である。

こうした意思は、根拠も目的もない盲目的な意思である。
人間にとっては、際限のないものである。
人間の欲求というのは、いつまでも満たされることがなく、生は苦痛に満ちたものになる。
音楽を聴くことや他人のために生きることで、一時的に苦痛から解放される。
(音楽は、主観や客観を忘れることができる。)

究極的な解脱をする方法は禁欲しかない。
禁欲とは、仏教の宗教的諦念である。


わかりやすく書かれているはずなのに、消化不良を起こした。
自分の言葉に書きなおす。

世界は2種類の見方がある。認識できる世界と認識できない世界。

認識できない世界というのが、意思、つまり、ありのままの自然である。
自然には、根拠も目的もない。
人間にとっても、根拠や目的というのものはない。意思とは、一時的に設定しているものにしか過ぎない。
だから、人間の欲求は際限がなく、満たされることがない。その結果、生きることは苦痛と退屈で満ちている。

短期的な解決策としては、音楽を聴くことと他人のために生きることである。

長期的な解決策としては、禁欲することである。禁欲とは、意思を自己抑制して、諦念することである。


ここでwikipediaを参照してみよう。

『意思と表象としての世界』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E5%BF%97%E3%81%A8%E8%A1%A8%E8%B1%A1%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C


第一部「表象としての世界の第一考察」
世界はわたしの表象である。いかなる客観も、主観による制約を受けている。

第二部「意志としての世界の第一考察」
世界は、主観によって制約された客観として、わたしの表象である。
しかし、世界はわたしの意思でもある。

あらゆる表象、すなわちあらゆる客観は現象である。
しかしひとり意志のみは物自体である

意思は盲目であって、最終の目標はなく、その努力は完成されることはない。
障害を克服して得られた満足は一時的である。
何もしないことは退屈である。
積極的な行動は、物足りなくなる。

第三部「表象としての世界の第二考察」
イデアは、表現された意思である。
イデアの世界である、芸術にのめり込んだ人は、意思なき、苦痛なき喜びを少なくとも一時的に得られる。

第四部「意志としての世界の第二考察」
生きようとする意思は、自分の自由を肯定したり、否定したりする。
意思のない世界は、沈黙しなければならない。
死が訪れれば解脱する。



まとめる。
1.世界は目の前に現れてる、主観的な解釈に影響を受けるものだと言われている。
2.でも、世界は意思でもある。(自然現象・物理現象を含む)
3.自然科学であらゆる事象を研究していることからわかるように、意思には目的はない。人間も世界の中に含まれている存在だから、最終目的なんてものは存在しない。
4.だから、いくら目的を達成しようとしても、満たされなくなる。
5.一時的な満足は得られても、永続的な満足は得られない。だから、求めなければ悩みや苦痛から解放される。