荘子のメモ

ショーペンハウアーwikipediaから荘子のリンクがあったので、荘子を調べてみた。
寓話で、心にとどめたものをメモする。
老子はメモしてません。

マンガ 老荘の思想 (講談社+α文庫)

マンガ 老荘の思想 (講談社+α文庫)

マンガ 老荘3000年の知恵 (講談社プラスアルファ文庫)

マンガ 老荘3000年の知恵 (講談社プラスアルファ文庫)

荘子 (中国の思想)

荘子 (中国の思想)

『マンガ老荘の思想』

車大工
⇒大工は丸や四角は教えられても、習得したコツは教えられない。
 知識人は書物をありがたがっているが、言外の意味こそ尊い

風と蛇
⇒風はどこにでも行ける。
 目はある場所を見たら、もうその場所についている
 心は思っただけでその場所に行ける。
 自然の働きは、それぞれ長所がある。大きい・小さいの区別はない。

井の中の蛙
⇒蛙は井戸に閉じこもり、人は知識に閉じこもる。
 知識は人を偉大にするけれど、自分の小ささを忘れさせてしまう。

セミを狙うカマキリ
セミを狙うカマキリ。
 カマキリを狙う鳥。
 人はよく目の前の利益に目を取られて背後の危険をすっかり忘れてしまう。

せんを忘れる。
⇒魚を取ったらせんを捨ててもいい。(せんは魚を捕まえる竹製の魚具)
 言語、文字は考えを伝える手段。
 意思を伝えたら言語、文字は捨てても良い。
 言語、文字は目的ではなくそれに至る過程。言語、文字にこだわりすぎると、大事なものが置き去りにされてしまう。

孔子、黒森林に遊ぶ
⇒人には8つの欠点と4つの憂いがある。

8つの欠点
1.自分のしなくてよいことまでしてしまうこと。
2.相手の聞きたくもない話を、いつまでもくどくど話すこと。
3.相手の顔色をうかがって、相手が喜ぶ話をすること。
4.良い悪いのおかまいなしに、その場限りの話をすること。
5.好んで人の悪口を言うこと。
6.人との交わりをやめ、人から離れること。
7.自分の機嫌を取る者を誉め、自分の嫌いな者を遠ざけること。
8.善悪を見極めず、両方に調子よくふるまうこと。
⇒8つの欠点は、外では人を乱し、内では自分を傷つけるから賢い人間は寄らない。

4つの憂い
1.大きなことをしたがり、功名を求めること。
2.自分が正しいことを疑わず、自分の意見を押し通して人をおしのけ、でしゃばること。
3.自分の過ちがわかっていても改めず、人が注意するとますますガンコになること。
4.自分と同じ意見を良いと思い、自分と違う意見を悪いと思うこと。
⇒4つの憂いを持った人間とは、正しい道のことなど語り合えない。

足跡を嫌がれば…
⇒自分の足跡を嫌がる者がいた。
 足跡から抜け出そうとして走り始めた。
 ところが、走れば走るほど足跡が増え、とうとう男は疲れ果てて死んでしまった。

いけにえはごめんだ
⇒いけにえの牛は、きれいな着物を着せられて草や豆を食べているけど、
 ある日いけにえになったとき、野原に帰って普通の牛にもどりたくてももう遅い。


『マンガ老荘3000年の知恵』

生を養う方法
人間の生命には限りがあるが知識は無限である。
限りある生命で無限の知識を追い求めるなんて、危険きわまりない。
危険を承知で、知識は自分を賢くすると思いこんでいるのだからなおさら危険だ。
人は、知識を背負い、知識に煩わされるのではなく、知識を超えるべきだ。
知識は生をお養う方法を理解するためのものである。
理解した後は、自然のままに生きることだ。それ以上余計な知識を追い求めてはいけない。

坐忘(ざぼう)
人為的な仁義や礼楽を捨て、耳や目の働きを用いず、五体を忘れ去って心を空っぽにする。
一切の束縛を脱却して、道と一体となった境地を坐忘という。

刻意(こくい)
人間の5つのタイプ
1.自分を高尚に見せ、世俗に同調せず、社会の腐敗を非難し、自分の不遇を訴える。これは不平不満型のやり方。
2.人の道を説き、慎み深くふるまい、モラルの実践に努め、人にもそうせよとさとす。これは遊説や弟子の教育に努める学者先生のやり方だ。
3.功績を並べ、名声を得ようとし、君臣と上下の秩序を定めて天下を治める。これは富国強兵、領土拡張に努める支配者のやり方だ。
4.山林や沼地に住み、釣りに興じ、散策を楽しんで、束縛から解き放たれようとする。これは現実逃避人間のやり方だ。
5.呼吸法を身につけ、木によじ登る熊や、羽を広げくびを伸ばす鳥をまねる。これは体を鍛えて長生きしようと願う修行者のやり方だ。

こういうのは、みな精神を傷つけるやり方だ。
「道」を体得した人は、苦心しなくても自然と高尚であるし、仁義に頼らなくとも自然と身が修まる。功名に頼らなくても自然と天下を治めるし、田園に身を寄せなくても自然と悠々自適を楽しむ。
世間が頼みとする人間の意思、仁義、功名、隠棲、修行は自己完成の道だと思われているが「道」を体得した者から見れば、これらはみんな煩わしいだけ、手かせ足かせとなる。


本当の快楽
この世に本当の快楽があるだろうか。生命を保つ方法があるだろうか。それはある。
人はただ取捨の仕方を知らないだけだ。
 自分は何をしているのか。
 何に頼っているのか。
 どこへ行くのか。
 どこへ去るのか。
 何を楽しんでいるのか。
 何を憎んでいるのか。
普通の人が憧れるのは、長寿と富貴(ふうき)と幸運。
喜ぶのは、身体の安泰、食事のうまさ、服装の派手さ、色欲の満足、音楽の楽しみ。
嫌うのは、貧困と身分の低さと死、病気
憎むのは、楽でない仕事、まずい食事、貧しい服装、汚い環境、娯楽のない暮らし。
こうした肉体的満足が得られないと、人はくよくよと悩む。しかし、そんなものを追い求めるのは、愚かでしかない。
世俗が追い求めるのは、ただ肉体上の快楽であるが、「道」を学ぶものが追い求めるのは精神の快楽だ。
肉体上の快楽は人間性を損なう。精神の快楽こそ本当の快楽だ。


平常心が大事
船の操り方は、泳ぎができるならすぐに操れる。水に潜れるなら船を見たことがなくてもたちまち操れる。
泳げる者は、水を意識しないから上達が早い。
素潜り名人となれば、深い淵も平地と同じに見えるし、船がひっくりかえっても車が後退したぐらいにしか思わない。
沈もうが後退しようが、彼は心を乱されない。だから平然と船を操れる。


無心であれ
名工すいの指先は道具と一体で、思慮をめぐらすことなく四角や円を描くことができた。
足を意識しない者は、靴がぴったり足に合っているからだ。
腰を意識しない者は、帯がぴったり腰に合っているからだ。
是非を意識しない者は、心がくつろいでいるからだ。
自分がくつろいでいるのさえ忘れていることこそが、真のくつろぎである。

何かに無理やり専念することはない。
対象との一致を無理に図らないことこそ自然に合致した「道」である。



「生を養う方法」を読んで、ただ単に知識を求めるだけじゃダメだと思った。毎日2chまとめサイトはてなのブックマークを読んで過ごしているけど、これはまさに余計な知識ばかり求めている姿だ。やることがないから、目の前の目新しい情報に目を向け、情報を消費する日々。
何かを学ぼうとするなら、学ぶ領域を設定して、到達地点を見据えて行動するべきだ。今回、ショーペンハウアーを理解する一環として、荘子を読んだ。自分を束縛しているものを忘れて行動すること、無意識で行動できる状態を推奨していることがわかった。
ただ、こうやって感想に、何分もかけているようでは、無意識的な行動とは言い難い。考えながら書いているともいえるし、こういうことはできるだけやめていこう。