苦から逃れる方法

ショーペンハウアーの『意思と表象としての世界』の解説を『超解「哲学名著」辞典』で読んだ。
そこから、苦痛から逃れる方法を抽出して、行動指針をたてようと思う。
しかし、盲目的に信用するわけにはいかないので、いくつか理由付け、関連付けしておこうと思う。

解脱する3つの方法

※解脱とは、煩悩から解き放たれて、すべての執着をはなれることで、迷いの苦悩の世界から涅槃の世界へと脱出することを指す。
※涅槃(ねはん)とは、人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態、苦がなくなった状態。

1.芸術に触れる。
音楽は、意思そのものを模写するので、芸術の最高形態であるとされる。
芸術は、人間から主観や客観という要素を取り除き、
人間を、意思の欲望のすべての苦痛から解放した解脱の立場へと高める。

2.他人のためにできる限りのことをする。
同情することで、人は他者の苦しみを理解する。
他者に対してできる限りのことをする。

3.欲を持たない。
欲を持たない。
仏教の宗教的諦念によって、解脱をはかる。

理由付け・関連付け
1.芸術に触れることについて。
何かの状態に没頭しているフローの状態も、主観や客観を忘れる状態といえる。
目の前のことだけに没頭できると、自分を忘れることができる。
芸術に触れること、忘我の状態に至る方法の一つと言える。

2.他人のために行動することについて
他人のためにお金を使ったり、子供のために働いたりすることを生きがいにしている人がいる。
宗教や道徳の話で、他人のために生きましょう推奨している。
チスイコウモリは、血を分け与えないことより、血を分け与えた方が生き残る可能性が高い。(特定の条件下では、利己的行動より、利他的行動をする方が生き残る可能性が高くなる)
他人のために行動すること自体が、自分の救いにつながる可能性がある。(例:共依存−ダメな人間の世話をすることで、自分に価値を見いだす)。

3.欲を持たないことについて
荘子:泥の中の亀
−亀は、殺されて占いの用に立てられて大切にされるよりは、泥の中に尾をひきずってでも生きているほうを望むだろう。仕官して自由を束縛されるよりも、貧しくとも郷里で気楽に暮らすほうが良い。
荘子:生を養う方法
−人間の生命には限りがあるが、知識は無限である。限りある生命で無限の知識を追い求めるのは危険である。知識は、生を養う方法を理解するためのもの。それ以上余計な知識を追い求めてはいけない。
欲望や執念、固執に囚われずに、自然なまま、あるがままに生きればよい。悟りを開く、無心になる。


音楽は文字よりも歴史がある。文字が一般化される以前から、人間の文化に溶け込んできた。それだけ、人を魅了する何かがある。音の組合せによって言葉が形成されてきたのと同じように、音の組合せによって音楽が発展し、文化になった。そう考えたら、音楽やそのほかの芸術に触れることで、目の前のことに没頭し、自分を忘れることができる。だから、行動指針として、芸術に触れる機会を増やす。
他人のために行動することについては、自己啓発書によく載っている。自分の知りえた情報を公開することによって、自分の知らない情報を得られるきっかけが増える。産業も、自給自足から専業生産に変わることによって生産の効率が向上した。他人のために行動することが、自分の苦痛を取り除く要因となり得る。だから、行動指針として、自分の行動を阻害しない程度に、他人のために行動することは良いことである。
欲を持たないことについて、執念や固執に囚われない程度に生きていければいいと思うが、欲を持たないというのはどういうことなのだろうか。歳を重ねるごとに、知りたいことが減ってきた気もする。それをありのままに受け入れるということだろうか。これについては、まだ疑問の余地はあるので、保留としておこう。


行動指針
1.芸術に触れる機会を増やす
2.自分の行動を阻害しない程度に、他人のために行動する。
3.保留(欲を持たない)−欲を持たない行動を実践し、内省して評価する−