『読書について』を理解していく

『読書について』−ショウペンハウエル著、斎藤忍髄訳

目次(p158)
・思索(1〜15)「自ら考えること」
・著者と文体(1〜18)「著者と文体について」
・読書について(1〜9)「読書と書物について」


『読書について』の「読書について」の章を理解していこうと思う。
方法としては、1節ずつ読み上げて解釈できた内容を書き出していく。言葉の置き換えをしたり、他の表現を使えば、より意味を把握できるのではないかと思う。

以下、この本の引用。

「新に価値があるのは、一人の思想家が第一に自分自身のために思索した思想だけである。」p22
「我々が徹底的に考えることができるのは自分で知っていることだけである。知るためには学ぶべきである。だが知るといっても新の意味で知られるのは、ただすでに考え抜かれたことだけである。」p1
「すぐれた文体たるための第一規則は、主張すべきものを所有することである。」p63
「人間はまだ一度にただ一つのことしか、明瞭に考えられない動物である。」p112
「理解とは結局ある状態を把握することである。」p119
「食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。」p129
「反復は研究の母なり。」重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。」p138

何度も本を読み返すことによって、内容を消化することができる。そして、状態を把握することによって理解することができる。理解することができて初めて、自分の中に消化され、自分の思想として用いることができる。そして、一つの対象を考え抜いた結果、主張すべきものを所有することができる。
言葉が借り物なのでぎこちないけど、流れとしては以下のようなものだ。
1.本を読む。
2.何度も読むことによって、内容を消化する ←いまここ
3.内容を消化することによって、初めて理解できる。
4.理解したら、自分のために考えることができる。
5.自分のために考えることによって、一つの対象を考え抜くことができる。
6.主張すべきものを所有することができる。
7.主張すべきものを所有するのは、すぐれた文の必要条件である。 ←理想


何度も同じ本を読む、っていうのは漠然としていて何をすればいいのかわからない。しかも成果がイメージできていないので挫折しやすい。そこで、目次と各ページを見て、節ごとに分けた。1節は短いもので200文字程度なので、200文字を読んで理解したこと書いて、別の表現に置き換えて、現代語訳して、自分の理解しやすい言葉に置き換える。
ここで重要なのは、「ショーペンハウアーはどのように考えたのか」は、度外視すること。結局、自分が理解できたことしか考えることができない。どう考えたのか頭を巡らせることはしてもよいが、そこを理想としない。他者の視点から自分の視点に置き換えることによって、そこから新たな思想を手に入れることができる。思想を取り込むことを目標にしているが、その目的は自分の手足として思想を利用するためである。本という媒体を所有したいのではなく、本という媒体を利用したい。

「紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならないp129」。

考え方を手順化するようなものかもしれない。時間さえかければ誰でも理解できるようにしておき、ひたすら訓練することによって成長していく。手順に従って、理解できたことと理解できなかったことを分離する。理解できたと思ったことでも、ふとした瞬間に本当の意味で理解できなかったと思うときが来るかもしれない。それはそれで仕方ない。タルムードも何回も読むことによって、書かれた知識が知恵として消化される。消化することによって、文の質を上げていく。考え事をするのは楽しいから、考え事の質が高くなれば、生活の質も高くなる。結果、満足度が高くなる。別の観点からみると、退屈と苦痛から逃れることができる。そのためにも、繰り返し取り行こう。