毛利元就のメモ

毛利元就のメモ
大内氏(おおうち)と尼子氏(あまご)に挟まれていた。
・大内は、毛利に対して臣下の礼を取れと迫った
・尼子氏は、毛利に対して同盟者として扱ってくれた。
孫子の兵法
大江広元(おおえのひろもと−鎌倉幕府の政治の源流を作った人、毛利の始祖)
・50年間、毎日欠かさず朝日を拝んで念仏を10回唱える生活を続けた。
・喧嘩両成敗
・小寿丸(しょうじゅまる)⇒元就(元服:15歳で名前を変えた)
・西国の桶狭間(圧倒的な兵力差で、武田元繁を打ちとった。5000vs1500, 毛利の初戦)
・百万一心(人柱の変わりに、石柱を埋めた)
陶晴賢(すえはるかた)軍を、厳島神社で打ち取る。
・十四カ条の教訓状
・三矢の訓跡(1本ならたやすく折れるが、3本なら折れにくい)
尼子義久(あまごよしひさ)を降伏させた。(1566年)
・1571年、吉田郡山城にて、享年75歳。
・中国地方、主に広島のイメージ。


孫子の兵法

超訳孫子の兵法

超訳孫子の兵法

孫子の兵法を学び、戦争に活かしていたとのこと。戦国時代の武田信玄の「風林火山」も孫子兵法書の一文に基づいて掲げられたらしい。
戦国時代に有名になった武将は、力だけではなく、兵法に詳しいという記載が見られる。


十四カ条の教訓状
毛利元就が3人の子に書いた文書。これを含む「毛利家文書」は重要文化財に指定されており、毛利家文書405号・毛利元就自筆書状として山口県防府市の毛利博物館に収蔵されている。
wiki/「三子教訓状」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AD%90%E6%95%99%E8%A8%93%E7%8A%B6

wikipediaを見る限り、思考体系を書き連ねたというよりは、思いつくまま一気に箇条書きで書いたように見える。


毛利博物館
http://www.c-able.ne.jp/~mouri-m/
山口県、共通券(博物館+庭園)を1200円で見ることができる。開店時間は9:00〜17:00頃まで。

念仏
⇒合掌礼拝時に「南無阿弥陀仏」と称えることをいう。
wiki/「念仏」より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%B5%E4%BB%8F

念仏を唱える意図を考えてみよう。太陽に向かって10回、同じ言葉を発する。これは、瞑想と言い換えることができる。流れる思考をせき止めて、決まったことを考える。そうすることで、1日をリセットしてゼロから考え始めることができる。毎日リセットすることによって、これまでのことを振り返ったり、新たな視点で物事を考えられるようになったと思われる。